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クラクラ小説「TH9 ヒーロー」

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「お前、何年この仕事やってんの?営業的に数字見てる?仕事舐めてんだろお前」
 
綾は黙って、頭を下げる。言いたいことは山のようにある。ただそれを言うとこの苦痛の時間が長くなるだけなので飲み込む。
頭を下げて、暴風がすぎるのを待つ。
 
綾は今年、28歳。出版社に勤務している。華やかなイメージに惹かれて就職したが、実際に配属されたのは経理部署だった。
入社から6年そこにいる。
 
同期入社のほぼ全員、希望通り編集職に就いている。彼らが雑誌のページを任され、有名な作家と打ち合わせをするかたわら、綾は請求書と領収書を相手に、帳簿ソフトへ、何の興味も持てない数字を入力する毎日だ。
 
つまらなくてもそれが仕事だと割り切ればよかったが、出版社は一般的に給料が低い。
 
一部の大出版社はともかく、綾の勤めるような中小規模の会社では、都内の家賃と食費、その他もろもろを払えば、手元に残るお金はごくわずかだ。
 
「クリエイティブな仕事は、お給料が低くてもみんなやりたがるからね。安くこきつかわれちゃうんだよ」というのは綾の先輩の言葉だ。
 
じゃあ、憧れを食い物にしたお給料で、憧れなかった仕事をしている自分はなんなんだろうと綾はたまに思う。
そこそこの大学を卒業しただけに、ほかの業界に進んだ同級生と、給与の格差は広がっていくばかりだ。
 
この四月に異動してきた新しい上司とのそりも合わない。怒鳴ることだけが教育と誤解している彼の声を聞くのが最近、辛さを増してきた。
実務は綾の方がはるかに詳しい。ただそれだけに、力関係を誇示するのにはこのパワハラめいた「教育」しかないと元営業マンの上司は考えているようだ。
 
「ほんと、やだ」
 
20分間にわたる日刊小言のあと、トイレの個室にこもって、綾はこぼれる涙を手の甲で抑えた。
 
「消えたい」
 
アパートに帰った後も彼女は、床に座ってベッドにもたれて、缶チューハイを片手に唇をかむ。
 
テーブルにはハガキ。地元の同級生の結婚式のお知らせだ。他人の結婚をねたむような性格でも年齢でもないけれど、「ご出席」の「ご」に線を引くのもいまは面倒だ。
祝儀と服代のコストも安月給の身分では頭が痛い。
 
電話が鳴った。通知を見ると田舎の母からだった。用件は、「梨を送ったから土曜日の午前中は家にいるように」というだけのものだった。しかし母の話はここからが長い。
近所のウワサ話、遠い親戚の誰それがどうしたこうしたなどなど。延々続くのだ。
 
はっきり言って、興味がない。
 
東京砂漠の辛い毎日には、この異世界トークが地味に癒しになることもあるのだけれど、今日はそんな気分でもない。
 
ただ、従妹のユウナがこの4月に大学へ合格したという情報だけは興味を引かれた。
ユウナは幼稚園のころから綾を慕ってくれていて、本当の妹のようにかつてはよく遊んだものだった。
綾が上京した10年前からそういえば会っていなかったが、小学生の記憶のままで止まっていた彼女が大学生になるという話は綾も自分の年齢を自覚せずにはいられないものがあった。
 
母との電話を切ると綾はケータイを横にした。最近ハマっているゲームをするためだ。
 
世界中のプレイヤーの村を、自分の兵士で攻撃するシミュレーションゲーム。今世界中で人気が沸騰しているという。
綾もなんとなくインストールして、ずっぽりはまってしまった口だ。
 
夜のアルコールと、このゲームだけが、彼女の苦痛に満ちた一日を平定してくれる。
 
5分たち、敵の村を攻め終わったあと綾は、いつのまにか化粧も落とさずベッドに頭を乗せて眠りに落ちていた。
 
面倒臭い。
 
そんなことを夢うつつで考える。
 
しばらくして彼女は、涼しい波の音で目が覚めた。ゆっくり目を開けると、藁葺きの知らない天井が目に入った。
 
床に座っていたはずなのに、いつの間にかベッドに横たわっていた。
 
真っ白な見覚えのない掛け布団をはがして体を起こすと、そこは綾の部屋ではなかった。
 
石造の壁。西欧風の暖炉や長椅子が部屋に置かれていた。
 
大きな窓からは青い色が見える。海だ。潮風が匂っている。
 
綾は頭の中を混乱させたままきょろきょろすると、自分の枕元に誰かが立っているのに気づいた。
 
女性ふたりだ。栗色の髪の女の人。20歳くらい。それと10代半ばの金髪の少女。
 
まず、年長の、栗髪の女性が綾を気遣うように何か言葉をかけてきた。
 
だが言葉はわからない。
 
女性は、少女に話しかけている。そして綾は、少女の美しさに気づいて驚いた。
 
凛々しい眉と透き通るような白い肌、整った鼻と口。雑誌のモデルのようだ。
 
彼女は栗毛の女性から「チーフ」と呼ばれていた。女性の態度から察するに、少女は何らかの権威を持っているらしい。
 
言葉も通じないながらも、このふたりの外国人女性が綾を気遣い、心配してくれているのは何となくわかった。
 
「そうだ、これは夢なんだ」
 
綾はそれに思い至り、冷静になった。
 
そして、この夢が覚めれば、自分はあの陰鬱な職場の、くだらない仕事に戻らなければならないことを思い出し、気がめいった。
満員電車に揺られ、ごみごみした小さいオフィスに行って、しっかり叱られ、夜に泣きそうな気持のまま、ゲームをしながらアルコールを喉に流し込まなければいけないんだと思いだした。
 
それだったら、この夢は長いほうがいい。夢の中で暮らしていきたい。そんなふうに思った。
 
綾はベッドから静かに降りると裸足で扉に近づいていった。外を見るためだ。すると少女たちは綾に何かを差し出してきた。
 
栗毛の女性の手にあるのは、深緑色のマントだった。裏地は紫。床にひきずるほど長い。
 
綾は受け取り言われるがままに、羽織った。驚くほど軽い。
 
「昔、大学の教授が着ていたカシミヤのコートがこんなふうに軽かったな。高そうなやつ」と、彼女は愚にもつかないことを思い出した。
 
マントをブローチで留めながら、傍らの美少女が手に持つものを見るに、金ぴかの、凝った細工のティアラだった。上野の美術館に飾っていてもおかしくないような上等な代物だ。
 
「これ被ったら、私、お姫様みたいだね」
 
綾は照れ隠しにそんなことを言いながら頭に載せた。似合っているのだろうか。わからない。鏡が部屋にないのが残念だった。
鏡を探しに、家の外に出る。
 
扉を開けた綾の目にまず飛び込んできたのは、驚くことに、数人の少女たちが膝を折って頭を下げて待ち構えている姿だった。
 
「なにそれ。やめてよ」
 
綾が慌てても、少女たちは頭を上げない。
 
一様に緑の服をまとい、矢立を背中に負い、手には弓を持つ少女たち。
 
そのうち一人が立ち上がり、両手で何かを、うやうやしく差し出してきた。
 
綾が受け取るとずっしりと重かったそれは、アーチェリーの選手が使うような機械仕掛けの弓だった。
 
「アーチャークイーン」
 
少女たちがうやうやしく呼ぶその名こそ、綾の夢の世界での呼び名らしかった。
 
「私は女王なんだね」
 
綾は楽しくなり、この夢の長く続くのをあらためて願った。
 
その願いが叶ったのかわからないが、それからもしばらく、彼女の夢は覚めなかった。
 
歩いて、寝て、起きた。それでも綾は夢の中にいた。夢で夜を超すのなんて見たことも聞いたこともない。
 
珍しい世界の、穏やかな日々。女王として少女たちから受ける尊敬のまなざし。
 
何よりあの会社にいかなくていい。うれしい。
 
最初通じなかった言葉も、たった数日でなんとなくわかるようにもなってきた。
曲がりなりにも住人とコミュニケーションがとれるようになると居心地はさらに変わってくる。
 
そして、最初はよくわからなかったこの村のいろいろな情報もわかってきた。
 
最初に綾の枕元に立っていた金髪の美少女の名前は「ペトラルカ」で、若くしてここの村の村長の役割を担っていること。
栗髪の女性は、そのサポート役らしい。
村にはペトラルカが率いる兵士たちがいて、彼らは人間ではなく、モンスターだそうだ。(夢なので!)
 
そして、村のいたるところに大砲や見張り台、鉱山、モンスターを兵士に仕立てる兵舎などがあるのも見た。
 
ここは村というより城砦に近いように見えた。まるで敵に攻められることを想定したような。むしろ敵に攻められるための村のようだ。
 
「戦争でも近々、あるのかな」
 
綾は、村の高台に備え付けられた巨大な弓矢の発射台に腰かけた。
ほほをなぶる初夏の風が気持ちよい。見渡す限り、緑の世界だ。
 
「まあいいや、夢だから」
 
東京では見たこともないような大きな空と雲に包まれたまま綾は目をつぶって、木の葉のざわめく音を楽しんだ。
 
その翌日のこと。村の外れの鬱蒼たる森の入り口まできた綾の前に、クマシデの大きな木に挟まれて、人より大きな鍋がぽつんと、草の上に置かれているのを見つけた。
 
そしてその鍋の傍らに、大汗をかきながら中身を一生懸命かき回している、紫の服を着た中年の男がいるのにも遅れて気づいた。
 
「料理でも作ってるの?」
 
男性は、振り返って答えた。
 
「呪文を作ってるんだ」
 
「呪文?ハリーポッターみたいな?」
 
「ハリーポッター?」
 
「あ、いや…。こっちの話。でもつぶやくだけじゃダメなんだ。呪文って」
 
「俺はできるよ、つぶやかなくても呪文を使える」
 
 男は人差し指を天に向けると、指先から小さな火を吹き出して見せた。
 
「すごい!初めて見た、魔法」
 
男は照れ臭そうに笑った。
 
「でもつぶやくだけじゃ、大した奇跡は起こせないんでね。こうしてきちんと時間をかけて煮込んで、瓶に詰めて、寝かせておく必要があるんだ。そうすると、こうなる」
 
男は懐から、紫の液体の入った瓶を取り出し、軽く横に振ってみせた。液体の揺れる音がする。
 
「材料って何?ヤモリとか蝙蝠とか?」
 
「そんなもんは入れないよ」
 
 男は笑って手を振った。
 
「地面にね、埋まっているエリクサーを使うんだ。あとは『言葉』だな」
 
「言葉?」
 
「例えば、『怒りの言葉』がこの紫色には詰め込まれている。逆に、『ねぎらいと思いやりの言葉』は黄色になり癒しの呪文となる。『憎しみの言葉』はオレンジの毒に、あとはなんだっけな。いろいろある」
 
「言葉って形がないのに。この世界だと呪文になっちゃうんだ」
 
「それが俺たちの職人技ってなもんでね」
 
男は胸を張った。
 
「言葉は凄いぞ。人を勇気づける。傷つけもする。女を口説くのだって思いのままだ」
 
「女?」
 
「俺たち呪文屋の一番人気でね。惚れ薬を使って、簡単に抱きたいやりたいっていうクソ野郎は後を絶たないよ。あとは長生きの薬とか、消える薬とか。人を選んで渡さないとえらいことになるもんばっかだ」
 
「作れるの?惚れ薬」
 
「作れるけどさ。でもそんな薬なんてなくたって、本当は誰でも使えるんだよ惚れる呪文」
 
「そうなんだ?」
 
「俺にいわせりゃ『惚れさせる魔法』ってそりゃ上手な口説き文句のことだね。言葉はそれだけで魔法みたいなもんさ。俺たちは魔法使いなんて呼ばれちゃいるが。そう考えると、世界中みんな魔法使いみたいなもんだよな」
 
綾はふと、自分の勤めてる出版社のことを思い出した。出版社は、言葉を生み出す総本山といえなくも、ない。
 
「さしづめ私の会社も、呪文工場みたいなものなのかな」
 
そう考えるとあんなに大嫌いだった場所が少しだけ、ほんの少しだけ懐かしく思えるから不思議だった。
 
「だから言葉ってのは大事なんだが」
 
男は綾に尋ねる
 
「あんたの口癖はなんだい」
 
綾は顎に指をあてて考えこんだ。
 
「口癖っていうか、最近は死にたいとか消えたいとかつまんないとかそんなことばっか言ってる気がする」
 
「冗談でもそんなこと言うもんじゃないよ。特にあんた、あの弓を持った女の子たちの大将だろう」
 
「大将…なのかな?」
 
「大将にとって一番大事なのは言葉だからな。あんたの一言で、兵士は強くも弱くもなるから。弱音を吐くのは便所と、男の腕の中だけにしとけよ」
 
「そうするようにしてるよ。男の腕の方は残念ながら相手がいないんで無理だけど」
 
綾は我ながら情けないことを言ってるなと思った。
 
「立派立派。あんたはいい大将だ」
 
『私は現実では大将どころか、平社員なんだけど』の声が喉の奥まで出かかったが、それを綾は飲み込んだ。彼女はこの世界では女王なのだ。
 
「大将を追いかけて、けなげな子がひとりそこにもいるよ」
 
 男の言葉に、綾が後ろを振り返ると、弓兵の少女が一人、ナラの木の後ろに隠れるようにしながら、じっとこちらを見つめているのが見えた。
 
「何?」
 
少女は声を上ずらせながら小さな声で答えた。
 
「あの…護衛で…今日は私が当番だから…」
 
綾はこの健気な少女に苦笑すると「ありがと」と小さく言葉を投げた。
 
それだけだったが、少女はたまらなく嬉しそうに笑った。
 
「言葉は魔法か。なるほどね」
 
女王は一人で納得した。
 
「帰ろっか」
 
綾は魔法使いに別れを告げ、少女と連れ立って家に向かった。
 
少女の年は18,9だろうか。目の大きい、顔の小さい、やせっぽっちのかわいらしい女の子。名前を聞いても要領を得ないので、綾は勝手に、アチャコというあだ名をつけた。
アーチャーの子だから、アチャコ。綾はその名を気に入った。
 
アチャコは、気さくに話しかけてくる女王に恐縮が止まらない。しかし綾は構わず身の上話なぞをする。
 
「あたし、そんな大した人間じゃないんだよー」
 
綾は自嘲した。
 
「現実世界じゃ、興味ない仕事して、安い給料で働いて。毎日つまんなくてつまんなくて。辛くて辛くて。でも転職する勇気も、特別な仕事につく才能もなくて。努力もせず、上司の悪口を言ってるだけ。そんでこのまま年だけとってくのかーってたまに怖くなるよ」
 
目を伏せながら、苦笑いをしてつぶやく。
 
「夢の世界に逃げ込んだ、微妙なアラサー。そんなだよ、私なんて」
 
アチャコは目をぱちくりさせながら「私、よくわかんないですけど」と前置きしてから言葉を継いだ。
 
「つまんなくても、つらくても、それでも仕事に行ってるんですよね。逃げずに、戦ってるんですよね。それってすごいことだと思います。女王様はやっぱり、すごい人だと思います」
 
綾は不意に目の奥にツーンとした痛みを感じて、あわてて照れ笑いしながら目をこすった。
 
「なんだろう。恥ずかしいな」
 
「?」
 
「なんか知らないけど、急にきた。油断してたからかな」
 
アチャコはそんな綾を見ながら、優しくほほ笑んだ。綾はアチャコの頭をつかんでぐしゃぐしゃにした。
 
「あんたいい子だね」
 
二人は笑った。
 
「でも女王様、本当につらいときはそのクロークに隠れてくださいね」
 
「クローク?ああこのマントのこと?」
 
「そのクロークには姿を隠す魔法が込められていると言い伝えられています」
 
綾はマントをの端をつかんでひらひらと振る。
 
「へえこれが。いいね。困ったときはそうさせてもらうね」
 
「それで、あの、女王様」
 
「ん?」
 
「もし、お嫌でなければ、魔法を使うときは、私もクロークの中に入れさせてくださいね」
 
笑って『いいよ』と綾が言おうとしたその瞬間。
 
遠くで、鐘の音の鳴るのが聞こえた。
 
「敵です!」
 
アチャコが叫んだ。鍋やラッパ、ありとあらゆるものが乱打されて、敵の来襲を村に伝えるのが聞こえた。
 
娘や大工、豚や牛にいたるまでが逃げまどい、こけつまろびつ、村の中心の安全な場所に向かって駆け出した。
 
綾とアチャコも急いで堀の橋を渡り、壁の中に入った。
 
二人が砦の中に入り、門が閉まったのと前後して、遠矢が壁の外から城内へ射かけられてきた。
矢の勢いは弱く、数は少なかったが、アチャコは不安そうに体を震わせだした。
 
「大丈夫だから」
 
綾がアチャコの肩を抱くと、少女はほっとしたような表情を見せた。
 
壁を拳で叩くような音が聞こえる。巨人の仕業だろうか。空には悪魔が舞うのが見える。火薬のにおいがする。
 
小さな震えが止まらないアチャコを抱き寄せながら、綾は二人で物陰に隠れた。
 
その瞬間、大きな破裂音とともに、村を囲む壁の一角が爆発し、瓦礫が周囲に飛び散った。瓦礫と煙がおさまったあと、大きくあいた壁の穴から爆弾を持った骸骨の姿も見えた。
壁が破られたのも、おそらくあの骸骨の特攻の仕業だろう。
 
人々は一目散に村の中心部に逃げていく。綾もアチャコの腕を引っ張り「逃げよう!」と声がける。
 
しかしアチャコは首を振った。
 
「逃げません!」
 
アチャコは震えながら、消え入りそうな声で「戦うのが私の仕事だから。逃げちゃだめだから。みんなを守らなくちゃだめだから」と自分に言い聞かせるようにつぶやいた。綾はその姿に言葉が詰まった。
 
壁の穴から、続々と敵が押し寄せる。その道筋に立ったアチャコは、背中に差してあった矢を抜くと、弓につがえ、敵へ狙いを定めた。
 
放つ。その矢はあやまたず、敵軍の先頭を走るゴブリンの腕に刺さり、ゴブリンはもんどりうって倒れた。
 
「すごい!」
 
女王の嘆声にアチャコがほっとしたような笑顔を見せた次の瞬間、少女の体は宙を舞った。
 
巨人のこぶしが、やせた少女の体を殴り飛ばしたのだ。
 
そしてアチャコは地面に叩きつけられると、綾は悲鳴を上げた。仰向けに転がる少女は、ぐったりとして動かない。
 
女王はこけつまろびつ、敵に自分の身をさらすのもいとわず、アチャコのほうに駆け寄った。
倒れた少女の体を起こすと、口から血が出ているのが見えた。
 
巨人と、蛮族と、ゴブリンが、少女を抱きかかえ震える綾に、笑いながら近寄ってくる。
 
綾はアチャコの体をそっと横たえると、振り向いてまっすぐに敵を見据えた。
 
その眼光は鋭かったが、巨人たちはあざけるような笑いを崩さない。
 
「私、わかった」
 
綾は視線をそらさずに背中に手を伸ばす。
 
「なぜ、私がこの世界に来たか。呼ばれたかわかった。逃げるためじゃなかった」
 
ふうっと息をつくと、その背に負う石弓を抜き、両手に構えた。
 
「戦うためだ」
 
そして巨人の頭に石弓の照準をあわせると、迷わずその引き金を引いた。
 
破裂するような音が響いたあと、巨人の頭は消え失せていた。
 
敵は一瞬、何が起こったかわからない風だったが、弓の女王は次々と矢を射放った。
 
巨人、蛮族、悪魔、魔女。綾の矢によって、敵の兵士たちはばたばたと倒れていく。
 
それを見た敵は恐慌状態に陥り、足を止めるもの、逃げるもの、様々だった。
綾は手を緩めず、次々と矢を放ち続ける。敵の群れは女王一人に、さんざんに打ち破られる。
 
アーチャークイーンの獅子奮迅の活躍に、味方優勢と思われたそのとき、裏道からわっという声が上がり、次に女性の悲鳴が上がるのが聞こえた。
綾が振り向くと、筋骨たくましい半裸の剣士が、ゆっくりとこちらに向かって歩いているのが見えた。明らかに綾に視線をつけている。
 
「バーバリアンキング!」と誰かの叫ぶのが聞こえた。
 
その剣は血がしたたり、男の歩いてきた道筋には、味方の兵士や、魔法使いの死体が無数に転がっているのが見えた。
 
綾の怒りが吹き上がる。
 
弓の女王は、武器を構え男に向かって矢を放つ。その攻撃はあやまたずバーバリアンキングの胸を突いたが、傷は浅い。男は少し顔を歪めただけで歩みを止めようとはしなかった。
 
キングは驚く綾に近づくと、その腹に渾身の蹴りを放った。
 
「ひっ…」
 
よろつく綾の頭を、さらに剣の柄で殴りつけた。
 
綾は倒れた。視線の先に、同じく倒れ、動かないアチャコの横たわる姿が見える。
 
失いかけた意識の中で男が笑いながら、綾をどう殺そうかと仲間に向かって叫んでいるのが聞こえた。
 
その男の顔は、綾の上司の顔によく似ていることに彼女は気づいた。
 
「ごめんね…」
 
そう力なくつぶやいた綾が目を閉じかけたそのとき。頭上から温かい光が全身に降り注ぐのを感じられた。
 
寝返って空を見ると、翼の生えた若い女性が空を舞いながら、自分に癒しの光を投げかけてくれているのが目に入った。
ペトラルカが差し向けてくれたのだろう。癒しの天使、ヒーラーだ。
 
たちまち綾の体から痛みが消えていく。
 
女王の全身にふたたび戦う力が戻った。
 
体をはね起こし、バーバリアンキングの振り下ろされた剣をかわした綾は、石弓に矢を急いでつがえた。
 
王はあざけるように笑う。
 
「逃げないのか?女ごときが俺にかなうとでも思っているのか?」
 
その顔も声も、綾のよく知っている男に酷似している。彼女の心はきゅっと小さくつぶされるような気がした。
 
「言葉は、魔法」
 
綾は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
 
「お前の言葉に私はなんども殺された。でももう、逃げない。負けない」
 
石弓を強く握る。
 
「私は女王だから」
 
綾はそう言い放つと、バーバリアンキングの懐の、剣が届くか届かないかの距離にたっと駆け寄って石弓を素早く構え、矢を至近で素早く放った。
 
短距離で撃たれた矢の威力はさすがに強力で、肩にもろに攻撃を受けた王はのけぞった。
 
「効いている!」と誰かが叫ぶのが聞こえた。
 
「とどめを」と背中の矢立に伸びた綾の手は、空を切った。矢が尽きたのだ。綾は青ざめた。
 
「矢がなければ、終わりだな」
 
王は傷ついた手を肩からだらりと下げながら、逆の手で剣を構えて女王にゆっくりと近づく。
 
絶体絶命だ、と彼女は思った。
 
後ずさる女王の視界の隅にアチャコが目に入ったとき、ある言葉が瞬時に脳裏によみがえった。
 
『そのクロークは姿を隠す魔法が込められていると、言い伝えられています』
 
綾は急いでクロークを体にかぶせた。バーバリアンキングは目を見開いて驚いた。そしてきょろきょろと慌てて周囲を見渡す。
 
女王の体が、隠されたのだ。
 
綾は倒れたアチャコのところに近づくと、彼女の矢立から矢をつかみ取り、そのうち一本を石弓につがえた。
そして、バーバリアンキングの後背に走り寄った。
 
まもなくクロークの魔力が消え、綾の体が誰の目にも明らかになったとき。そこにいた者が見たのは、背中に女王の石弓を突き付けられたバーバリアンキングの姿だった。
 
「待て…」
 
王のその言葉の終わらないうちに、女王の矢は彼の体を貫通した。
 
前のめりに崩れ落ちるバーバリアンキングを見て、「王がやられた!やられた!」と敵兵は口々に叫びだした。
 
退却のラッパを吹き鳴らすものあり、影に隠れる者あり、死んだ仲間を踏みつけて逃げ惑うものあり。
 
戦いの決着はついたのだった。
 
逃げ散る敵兵の追撃に走りだす味方に目もくれず、綾は倒れたアチャコのもとに駆け寄った。
少女の顔は白く、目は閉じられたままだ。
 
「アチャコ」
 
ゆっくり抱き起してほろほろ泣く女王の腕の中で、少女の胸がかすかに上下しているのがわかった。
 
生きてる!アチャコが生きてる!
 
女王が喜びをはじけさせた瞬間、長い夢は終わった。
 
夢から目覚めた綾が見たのは、彼女が住むアパートの天井だった。ケータイから流れる目覚ましの音。外から聞こえる車の音。
まったくいつも通りの朝だった。
 
「会社に行かなくちゃ」
 
綾はのろのろと立ち上がり、顔を洗いに洗面所に向かう。化粧を落とさずに寝たせいかひどい顔だ。
 
それから飛び乗る、いつも通りの電車。立ち寄ったいつも通りのコンビニ、いつも通りの会社。
いつも通りの日常が戻っていた。
 
ただ、すべてがいつも通りになったわけではなかった。
 
綾は不思議と、前より会社に行くのが嫌ではなくなっていた。
 
夢のことなどほとんど忘れているのに、彼女は以前より前向きに仕事に取り組めるようになっていた。
 
嫌で仕方なかった上司にも、思っていることを言えるようになった。物おじせず自分の意見を述べる綾に、上司が逆にやりこめられることもしばしばだ。
 
彼女の生活は前よりずっと、辛くないものになっていた。苦痛は取り除かれていた。
 
そしてそれから数か月後、綾は地元の友人の結婚式のために故郷に帰る機会があった。
 
オレンジと緑の電車に二時間揺られて、地元に着いた綾を車で迎えに来てくれたのは母だった。
 
実家に帰り居間に入った綾の目に飛び込んできたのは、背の高い、目の大きな、きれいな少女が座って麦茶を飲む姿だった。
 
従妹のユウナだ。
 
綾に会いたくて、わざわざこの家で待っていたという。
 
「合格おめでとう」
 
綾はそんな祝いの言葉を述べながら、いつか見た夢の少女をはっきりと思い出した。
あの夢の中のアチャコと、大学生になったユウナは本当によく似ていた。
 
翌朝、綾はユウナの車に乗って、町にある美容室に向かった。
 
運転席のユウナの横顔を見ながら綾はぽつりと言う。
 
「最近、ユウナによく似た子と会ったんだ」
 
「どんな子?」
 
「似てる子」
 
「じゃあその子、綾ちゃんのことを大好きだったでしょう」
 
「うん…」
 
綾は窓の外を見た。
 
「もう会わないの?その子とは」
 
綾はすぐには答えず、視線を遠くにやって、故郷の山を見た。なだらかに広がる麓の稜線。青く美しい子供のころから見慣れた姿だ。
その風景は、いつか見たあの夢の世界を思い出させた。
 
「また会えると思う。きっと」
 
綾は車の窓に頬杖をついたままにっこりと笑った。

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コメント

  1. ドフィ より:

    小説を読んでからウィリーさんの絵を見ると
    最初に絵を見た時とまた違う印象で得した気分になりました。

    やっぱりポンタさんの文章好きだわー。

  2. リク より:

    本当に楽しませてもらいました、ありがとう。

  3. ルシ より:

    ポン太さん、小説お疲れ様でしたm(*_ _)m

    夢と現実の狭間での葛藤。

    いい物語でした٩( ´ω` )و

  4. 北緯48度 より:

    突然だもんなぁ
    読みいっちゃったよ
    うん、また読めると思う。きっと…

  5. Willy より:

    物語の構成力もさることながら、とても心温まるお話にじんわりと余韻に浸っています。
    絵からイメージしていただいたとは本当に恐縮ですが、絵がいろんな意味で色づきました。
    ぽんたワールド大好きです。

  6. 名無しさん より:

    最後まで読ませて頂きました!
    pontaさんが本当にクラクラの事を好きな事が伝わってきました!
    明日も仕事頑張ります!

  7. 不可思議 より:

    またまたお帰りなさいww

  8. 匿名 より:

    村を攻める時、躊躇ってしまうじゃないか!なんてモノ書いてくれたんだ(笑)

  9. 匿名希望 より:

    お元気で何よりです(ノω`)プププ

  10. 名無し より:

    またPontaさんの文章が読めるとは(*´∇`*)

  11. ayapapa より:

    半分諦めていましたがまたクラクラ小説読めるなんて!
    絵と小説のコラボ、最高です
    残りの二話も待つ楽しみができました 気長に待ってます(*^^)v

  12. めがね より:

    おかえりなさい、小説良かったです!

  13. 匿名 より:

    まあまあ

    100点

  14. 名無し より:

    Pontaさんの 小説 今日 初めて 読まさせて頂きました。 まだ まだ 時間のある 時で 構いませんm(_ _)m 更新 し続けて下さいm(_ _)m

  15. 名無し より:

    Ponta 様の 小説 今日 初めて 読まさせて頂きましたm(_ _)m 時間を 作るのは 大変でしょうが 次の更新も 心より お待ちしていますm(_ _)m

  16. 名無し より:

    Ponta様の 小説 今日 初めて読まさせて頂きましたm(_ _)m これからも 時間のある時で 構いませんので 更新し続けて下さい。

  17. 通りすがって二度見 より:

    ぜ…全然待ってなんか、なかったんだからねッ!///

  18. あかべこ より:

    絶品‼

  19. とあるクランのリーダー より:

    pontaさん。
    ありがとうございます。

  20. koy より:

    ポンタさんの小説読んで泣くの私だけ?(^^;
    続き楽しみにしてます(^-^)

  21. えみ より:

    Pontaさんの文がまた読めた(T0T)

  22. 天空のスナプキン より:

    更新嬉しいです♪いつになく真剣に読んでしまいました(=゚ω゚)ノ今夜のクラクラが楽しくなりそうだ!

  23. ちゃむちゃむ より:

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  24. Lefgtw より:

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