クラロワの負けは頭にくる。クラクラの負けは心にくる

お疲れ様です、pontaです。

2016年のクラクラは停滞の年で、じんわりとしぼんでいく巨人の姿に寂しい思いをしたプレイヤーも多かったのではないでしょうか。

ただ、そんな中でドズルさん主催の「大阪Clash」では「クラクラのもつ底力」を改めていろんな人に見せ付けることになりました。


ここから上がったクラクラ復活の、のろし。

そしてふたたび熱気が界隈を覆っていく中で、輝く人が現れつつ、同時に深く傷つく人も出るわけで、クラクラの持つ美しさと残酷さがあらわになっていくわけですよ。

勝負の世界で誰かが光を浴びるということは、そこに深い影もまたできるということでありますゆえに。

私はそういうのが見たかったというか見せたかったというか、そうあるべきだと思うんですが、自分が傷つくのも、人が傷つくのも本当に嫌というか、つらいなあという気持ちもあります。

負けたクランは悔しいし、クランは勝っても、普段の力が出せずに後悔が消えないひともいるでしょう。

クラクラが嫌いになるかもしれない。

いやあ残酷だ。いろいろ残酷だ。

みんな仲良く笑って幸せに。涙の一粒も流れない。

ただそんな人生がありえないというのも事実。厳然たる、事実。

普通に生きてりゃ、年は取るし、親は死ぬし、ペットは死ぬし、病気になるし、クラクラは負けるし、いやなことから逃れられないわけですよ。

涙くんさよなら永久に、とはいかないわけです。

ただそこでふたたび立ち上がり、より太く強くなって帰ってこれるかどうかが、男の価値ではないだろうか。

試練はそれに耐えられるものにのみ課される。そしてふたたび笑って輝く。

私はそうありたいと思うし、友も仲間も子も敵も。そうあれかしと思うなり。

以上、よろしくお願いします。

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Posted by ponta